爆笑問題の田中裕二さんと太田光さんが、2020年12月15日放送の『爆笑問題 カーボーイ』で
NHK新人演芸大賞の闇と小松政夫さん(あと林家たい平さん)について話していました。
小松政夫さんが2020年12月7日に永眠されました。
ご冥福をお祈りいたします。
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爆笑問題 落語界の闇と小松政夫との思い出をラジオで語る【カーボーイ】
NHK新人演芸大賞
(太田)浅草演芸大賞で、我々この間、奨励賞なんか貰って、小松さんの思い出なんか話してたんだけど…小松政夫さんと言えば、当時NHKの新人演芸大賞の審査員長だったんだっけ。で、俺らも俺らもガハハ10週勝ち抜きとNHK新人演芸大賞取ったのが本当に同時だったんだよね。それまで干されてたけど、それが弾みになったんだよね
(田中)そうです。覚えてますよ。久本さんが司会で…
(太田)マーシーとね
(田中)今あえて言わなくていい、別に
(太田)本当にあれ、今映像が使えないから
(田中)しょうがないよそれは。
(太田)俺らが本当に復帰する弾みになって。それまで…我々の代まで、演芸大賞って漫才と色物(コントとか)って一緒の大会だったんだよね。で、それまで落語家が(大賞を)取るっていうのは暗黙の了解があったんですよ。これNKHと落語協会の、言ってみればズブズブの関係です。
(田中)いやいやいや…
(太田)全くその通りですよ!で、落語協会はあそこで大賞を取って真打に近づくっていうのが暗黙の了解だったんです。悪しき風習というんでしょうかね
(田中)NHKのジャージ着ながら言ってますけど
(太田)だけど俺らがその時あんまりウケたもんだから
(田中)確かにそん時はそうですね
(太田)もうホールが揺れたんですよ。で、我々が初の色物(漫才)で優勝して、で、ちょっと上のほうで皆んなで立食パーティーをして
(田中)そうそう、打ち上げ的なね。出演者と審査員と。
小松政夫との思い出
(太田)で、各審査員から一言ひとこと貰うんですよ。俺らも「良かったな、これで俺らも仕事できるようになるのかな」なんて思いながら。で、山藤さんとかも、「今まで演芸大賞は落語家に与える賞としてあったけれど、(漫才の爆笑問題に大賞をあげる事は)散々審査員同士で協議したんだと。したけど、今回爆笑問題でこれだけウケたのを見て、これで落語家にあげたらやっぱり賞として価値が下がる。これだけウケたんならやっぱり爆笑問題にあげなきゃいけない。それは審査員満場一致で(決まった)」と。そういう事を一人一人言ってくれて。それで最後小松さんから言葉をもらって。やっぱり嬉しかった訳ですよ。小松政夫に会えて、しかも審査員として俺らを選んでくれて。で、それぞれみんな長い言葉で褒めてくれるんですよ。で、最後小松さんから一言ってなったんだけど、小松さんってシャイな人でね
(田中)そう
(太田)最後壇上に上がってくれて、『爆笑問題、アンタは偉い!』。その一言だけだよ、それ言ってスッと下がって…痺れた〜!
(田中)で、ドカンとウケて
(太田)あん時嬉しかったね〜。あれが一番ゾクっときたよね
(田中)はっきり覚えてますよ。はい。
《中略》
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林家たい平の話
(太田)本当は忘れもしない、たい平が(NHK新人演芸大賞を)取る予定だったんですよ。落語会的にはあれに優勝させなきゃ困るってなってたんだよ
(田中)はいはい、ね。
(太田)で、落語協会がNHKにクレームを入れたんだよね。
(田中)まぁまぁ、たい平さんは関係ないけどね
(太田)いや、そうですよ、そういう所なんですよ落語協会って!で、NHKもそれを受け入れて、次の年から演芸部門と色物部門(漫才・コント)に分けたんです。こんなに卑怯な事あります?
(田中)はははははは
(太田)ね、
(田中)そうそう、次の年から分けたね
(太田)落語協会っていうのはそういう所ですよ。
(田中)まぁね
(太田)その時の優秀賞ですよ、林家たい平っていうのは。全然俺らに敵わなかったんだから
(田中)何もその話から…たい平くんには何の恨みもないし、悪い事された事もひとっつも無いのよ?
文句を言われた話
(太田)確かにそうなんだけど。ただあの時上方で文句言ってきた人が1人いてさ
(田中)打ち上げの席でね、あれ、ちょっと酔っ払ってたのかな
(太田)酔っ払ってたのか何なのか知らないけど、打ち上げの席で『ちょっと良いですか?』っていきなり言い始めて、『あの〜ちょっと今回、我々落語家の持ち時間は15分なんですけども、漫才とかコントの場合、司会者が舞台にいてもどうとでもなるんですよ。落語っていうのは自分たちの世界を作らないといけないので、司会者に一回袖に引っ込んでもらわないとダメなんですよね。そういう意味で落語家は非常に不利でした。』って
(田中)バケモンだよな。みんなシーンとなっちゃったもん。
(太田)『これはちょっと納得できません』って言い出しちゃって。でもあの時の落語って15分貰えてるんだけど、こっち(漫才)は7分なのよ。その時点で俺ら不利って話じゃん。なのに『我々落語家は司会者に引っ込んでもらわんと自分の世界作れまへんのや!』って。あの上方のバカ、言いやがってさ。
(田中)ははははは
(太田)よくよく考えたら俺ら楽屋で(一緒に出てた)BOOMERと話してて、で、楽屋は落語も色物も全員一緒なのよ。で俺ら楽屋でBOOMERとタバコ吸いながらゲラゲラ笑って壁によっかかってたんだよ。そしたら『ちょっとすんまへん』ってやってきたのが(落語が不利って言った)ソイツなのよ。で、俺のよっかかってる所から衣装を取ったのよ。っていうのは、俺がソイツの衣装に寄りかかってたのよ。多分相当それで腹立ってたんだよ。
(田中)まぁ、そうね
(太田)それも併せての事だったんだろうね
(田中)そんな礼儀も知らないやつと一緒に出たく無い、と。嫌だと。そういう事だったんだろうね。
〜おしまい〜
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